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学校からの帰りのバスの中で、俺は学生がひしめく窮屈なスクールバスの通路に立っていた。
ほぼ真横だが、こちらから見て顔だけが確認できない程度には斜め前の位置にある座席に、茶髪ロングの女が座っていた。
そんな一方的に視姦ができる立ち位置から、しかしひっそりとその女を横目した。
シャツの上からツンと尖った2つの膨らみが確認できた。
先端に向かって、曲線のように丸みを帯びて収斂していくというよりは、円柱のように直線的な勾配をもっていた。
小振りでいながら、ツンと立っているという要素の組み合わせが、強がってみせる子どものようないじらしさを演出していた。
手提げかばんと紙袋が綺麗に膝のうえに並べられているのが、とても可愛らしかった。
スマホを取り出さずに、じっと座っているのも素朴な感じで良かった。
なにより、顔が見えないのが絶妙に性欲を煽った。
メモ
生きる意味を考える
・幸福追求
幸福感の全ては死によって無意味になる。死を通過してもなお意味を失わないような「成果物」を考えなければならない。
死後の世界の存在が死を超越した思考を可能にするが、俺にはその存在を信じることは出来ない。
・誰か(何か)が課してくれる役目を果たすこと
他人のためという理由では一生をかけて背負うには希薄すぎる。
仮にそれを言い聞かせたとしても、それは自己欺瞞でしかない。
宗教的な役割を含む。
・自分を人類という集合体の一細胞であると考えたとき、子孫を残す、人類への(文明における)貢献
先述した案の真部分集合でもある。
この中ではこれが一番妥当に思えるが、俺には無理。
無意味な連鎖を続けることはあまりに残酷すぎる。
結局は、すべては悲しい物理現象なのか?
蹴ったボールが物理法則に従って転がっているに過ぎなくって、俺の脳の電気信号の伝達も、ビックバンという現象を発端とする一連の物理運動の過程に過ぎないのか?
つまり、生きる意味など初めから用意されていないというのか。