煉獄

 夏休み。クーラーの効いた独りきりの部屋で、時間を潰すためだけにネットをしている。大学のレポートや課題に追われる日々にウンザリしていたところに現れた、俺の人生を救ってくれる筈の念願のイベントなのに、これから暫くの間こんな日が続いていくのだと考えるだけでどうしてこんなに苦しいのだろうか。

 それはきっと、まるで生きている心地がしないから苦しいのだ。どうせこんな一日には何の意味もないのだから。未来の俺はきっとこの一日を覚えてはいない。どうせ無かったことになる一日に何の意味があるといえるだろう。

 そんなことを考えるのももう何度目のことだろう。今までもずっとそうやって生きてきたのに、まだこんなことを考えている。何も積み重ねてこなかったからこんなことになっているのだと知っているくせに、まるで今まで気づいていなかったようなふりをして、たった今新しい発見をしたかのように、いつも通りの答えを出している。

 いっそクーラーを消してしまって灼熱に身を委ねてしまえば何かが変わるのかもしれないという予感もあるが、そんな小さな勇気さえ今の俺にはない。

 

 今の俺に必要なのは、今の状況であったり、俺が持つ認識のすべてを覆してくれる何かの出現であると思う。それは例えば戦う美少女との出会いであったりするわけだが、それが起こりえないことくらい、最近になってようやく理解した。

 ならば、俺は何を待っていればいいのだろうかと、そんな答えの出ない問いに行き着く。何か俺を熱中させてくれるものはないものかと、一応これまでも色々と試してはきた。萌えイラストの練習もしてみたし、電子ピアノを買って音楽理論の勉強もしてみた。プログラミングの勉強もしてみた。しかし、どれも退屈に変わりなかった。小説、漫画、アニメ鑑賞、名作エロゲもしたが、生まれ持った、あるいは培ってきた感受性が劣っているのか、感動的と話題の作品を観ても涙を流すようなことはできなかった。

 

 感受性が劣ってるということが、もしかしたら全ての原因なのかもしれないという予感は以前からあった。しかし、俺にもまだ中学生の時には、剥き出しで今よりもずっと敏感な感受性を持っていた。日々は初めて見るもの、人、その刺激に溢れ、何もかもが新鮮で、何もかもが祝福されているような眩さに包まれていた。しかし、経験を重ねて刺激を感受するごとに、少しずつ感受性の表層は刺激への耐性をつけて分厚くなり、鈍感になっていった。気づけばあらゆる物事に対して新鮮さを感じることはなくなり、相手が知らない人であってもそれが大体どのような系統の人間であるか予測がつくようになった。ありきたりな表現だが、今の日々は本当に灰色にくすんでいるようだ。そんな状況を打開しようと俺の知らないことに挑戦してきたつもりだったのだが、そんなのは無意味だった。刺激を受けることそのものに慣れてしまったのだから、刺激を与えるための手段を変えることに意味はないのだ。

 

 それでも、俺はまだ、エロサイトを始めてみた時の衝撃と興奮を、初恋の切なさと愛情を、あの新鮮さで輝く日々の感動と眩しさを、もう一度だけ感じてみたいのだ。